裏磐梯の森から

一人暮らし老人の 日々の食事と 身辺雑記です

箱根駅伝と休みの学校のADHD少年

朝、ゆっくりめの起床。
昨日の雪は、とけている。
毎年楽しみな、箱根駅伝。


40代のころ、ボランティアで、「休みの学校」という活動をしていた。
その名のとおり、休みになると開かれる。
夏はキャンプ、冬はスキーが中心だ。


課題のある子どもたちが、多く集まる。幼児小学生から中学生まで。
当時、今で言う「発達障害」の子どもたちが、数名いた。親たちは、今以上に、困っていた。周囲の理解が、今以上になかった。


その中の一人に、K君がいた。
彼は、ADHDの診断名を持ち、リタリン(今は、コンサータなどの薬処方に変わっている)を服用していた。
注意欠如多動症(以前は、注意欠陥多動性障害という、まずい翻訳だった)。


小学校低学年の彼の、いわば無鉄砲な行動を抑えることに、お母様は疲れ切っていた。いろんな病院を訪ね、カウンセラーを探し、手を尽くしていた。


ある年の冬、恒例のスキー活動は、赤湯スキー場。彼の担当は、私となった。
彼は、運動神経は抜群によい。問題は、リフトを降りた直後の疾走である。危険極まりない。


二人でリフトに腰掛けながら、その危険を繰り返し教える。そして、どう行動すれば良いかを何度も繰り返す。


すると、約束が守れる子だった。目一杯、スキーを楽しめた。
私は、意外な彼の側面を、お母様に報告した。
その後、学校は、諸般の事情で、休止となった。


十数年後の初冬、とあるファミレスで、偶然お母さまに呼び止められた。


表情が、見違えるほど、明るい。若返って見えた。
「先生、Kは、箱根駅伝に出たんですよ。今も、社会人駅伝で走っています。」
お母さんは、畳みかけるように、そして、うれしそうに話す。


正月、駅伝中継を観るたび、小さいころのK君と、お母さんの姿を思い出す。


朝昼食。
昨日と同様のうどん。
リンゴ、ヨーグルト。
薬味。
キャベツとブロッコリーの野菜炒め。


午後、Amazonプライム経由で、「チェルノブイリ」第3話を視聴する。
被爆した所員、消防士たちの、その後は悲惨だ。広島、長崎を思い起こさせる。
爆発した原発の後処理、福島を重ねる。


夜、ビールと差し入れ。
唐揚げに野菜あんかけ。これも、私には、作れない。おいしい。
宿の日常が、戻ってきた。

とろろ飯。なめこ汁。
わが地方では、正月に、二日とろろ、あるいは三日とろろ、という風習がある。
自然薯をすりおろし、味噌汁を加え溶き、飯にかけて食する。このとき、芋の皮はむかない。ひげ根は、火で炙る。今日は、長いもである。そう言えば、自然薯堀り、しばらく、していないなあ…かつては、初冬の野遊びであった。


食べ終わると、すり鉢に残したとろろを湯で薄め、シャモジで家の周りにまく。これは、子どもの仕事。健康、除厄、福を招くまじないだろう。


さて、明日は宿を後にする。早めに休もう。
夜中に目覚めるかもしれないが…