裏磐梯の森から

一人暮らし老人の 日々の食事と 身辺雑記です

『朝がくると』 まどみちお

今回の部屋は、和室であることは良いのだが、ネットの電波状況は、良くない。
不安定である。
廊下で作業したが、ちょっと寒い。
そこで、窓際の戸を一枚開く。
そうすると、つながる。でも遅いが、致し方ない。


朝食の準備。
若い頃は、テントを担いで、山のぼりをした。
狭いテントの中で、飯も作った。


部屋の中で、牛乳パックをまな板代わりにして、野菜をきざんでいると、
その頃を思い出す。


朝食

初女さんのおむすび。
インスタント味噌汁、長ネギを加えて。
レタス、ゆで卵。
自家製キムチ。
りんご、自家製ヨーグルト。


今日の授業は、「社会的養護内容」。事例研究に入っている。
2年間学んできた保育士の実践の、総まとめのような内容になる。



今日の学生たちへのプレゼントは、まどみちおさんの詩。
童謡『ぞうさん』の詩を書いた人、というと、若い学生も分かる。


この詩は、子どもとはどういう存在かを、書いている。
それは、「一人前になりたくて、仕方ない、存在」。
「大人に、憧れる、存在」。


以前の授業で、
「性善説」「性悪説」「性白紙説」について、考えた。
私の恩師である、村井実さんは、「性向善説」を唱える教育哲学者であったことを紹介した。
彼の言葉で言うと、子どもは本来的に、「善さ菌」を持って生まれてくる。


子どもとは、「善くなりたくて、仕方のない存在」
でも、何が善くて、何が善くないかは、まだ分からない。だから、失敗し、迷い、試している。モデルは、大人だ。だから、より惑う。


しかし、善くなりたくて、仕方ない存在。そういう子ども観を、養って欲しいと思う。
まどみちおさんは、さすが、そのことを知っている。


宿に戻って、昼食。

初女さんのおむすび。
カップ麺。
自家製カクテキ、長ネギ、ワカメ。


明日も授業はあるが、一クラス。そして、内容は、今日のもう一つのクラスと、同じだ。
やっと、二クラスの内容が揃う。


そこで、念願のホルモン焼き屋「ひょうたん」を目指す。
宿舎は、原ノ町駅なので、仙石線で本塩釜駅まで。


到着、4時前。ひょうたんの開店は、4時である。駅から歩いて数分。
二人目の客。この店とは、20代からのつき合いだ。

ホルモンとレバーを半分ずつ。一人前の量が、半端ではないのだ。
キムチは、注文しない。
即、燗酒2合、うらかすみ

ひょうたんは、かつてはもっと開店が早かった。
魚市場の仕事は、大体午前中で終わる。その後、飲めた店なのである。


元気な女将さんが、うちの新鮮なレバーは、生でも食えると、自慢していた。
息子を、大学にやるんだ、そのために稼いでいると、語っていた。


その息子は、大学を終え、ホルモン焼き屋の主人におさまった。今は、店に出ていない。でも、彼の物静かで、丁寧な接客は、今の従業員にも生きている。

焼酎を一杯追加し、5時前の列車で帰るべく、店をでる。
勘定は、1600円と少し。


駅から、歩いて、スーパーへ。買い物をしながら、大相撲中継を聴く。私のスマホは、Wifiがないと、つながらない。
炎鵬貴景勝が勝ち、豪栄道が負けた。勝負は、悲喜こもごもである。


宿に戻り、風呂に入り、横になって、うたた寝をした。
途中で目覚め、布団に入った。
いつになく、少し酔ったのだろう。