裏磐梯の森から

一人暮らし老人の 日々の食事と 身辺雑記です

過ぎし去年(こぞ) 記憶の中の暮れ模様

朝、雨の朝。
いつものように6時から基礎英語。
7時、入浴。いつものように、清潔な湯。


そして、朝食の準備を始めたところ、
冷蔵庫が、冷凍庫になっていた。
室内温度の設定を誤っていた。慌てて、弱に戻す。


豆腐が凍っている。
ヨーグルト、刺身、ナメコ、すべて凍っている。


解凍するまで、朝食は、おあずけになる。
まあ、仕方ない。
その間、ちゃんこ鍋の出汁を、さらに煮込む。大根、キャベツ、ニンジン、ネギ、セロリの皮やくずを加える。よい味だ。


朝食、10時。

昨夜の残りの鯉料理。旨い。
昨日、映画館と併設されている直売店で購入した、キンピラごぼうとゼンマイ煮の小、それぞれ110円。丁寧にきざんであり、味付けも薄い。農家のおばあさんの味。


私の父の実家は、豚、馬も飼う専業農家だった。
豚を解体すると、庭先に肉を並べ、ご近所が買いに来る。極めつけのご馳走だった。
長期休業になると、私はそこで生活した。


暮れは、28日に、明るいうちから風呂に入り、餅をつく。
子どもたちは、めだま木とよぶ正月飾りを作る。ミズキなどの木の枝に、小さく丸めた餅を付けるのだ。それから、年に一度の、正月のご馳走を食べ始める。


何を食べたのかは、定かではない。
ただ、餅は、いっぱい食べろ、もっと食べろ、と言われたことは、はっきり憶えている。
ふだんは、決して、そういった言葉を掛けてもらわないからだろう。
雑煮、あんこ餅、納豆餅…


岩手の妻の実家でも、大晦日から、おせち料理を食べ始める。
義理の父は、うれしそうに、酒を飲み始める。そして、決まって、シベリア抑留時の経験談を繰り返す。
これが、正月三が日続く。楽しかった日々である。特別な日々だった。


そこで、私も、焼酎の一人のみを始める。
テレビは、年末恒例の、大間のマグロ漁をドキュメンタリーしている。
大間には、家族と何度も行ったなあ……
本州最北端の、大きなキャンプ場があった。

〆は、ナメコ雑炊。リンゴ。
何しろ、まだ凍っている食材が多い。
鯉のうま煮。骨だけが残った。これに、ちゃんこの出汁を入れて、さらにしゃぶる。


夜、7時過ぎ。
子どもの村東北の理事、O氏から電話が入る。
まだ仕事は片付かないが、忘年会の準備をしようとのこと。
西多賀の上の丘に自宅があるS先生と、タクシーで移動する。
細かい雪と風、いよいよ年を越える…

年越しのご馳走が並んだ。


S先生は、私の母と同世代。カクシャクとしている。90才を超えて、一人暮らしだ。
魚店社長のG氏は、私と同年代。自家製の塩からとナメタガレイの煮付けを持参。
0氏は、40代の若手経営者。奥様には、お手数をかけてしまう。
酒屋のT氏は、生ビールを届けながら参加の20代。
彼の同級生N氏は、民宿旅館の長男。満室の旅館の仕事を終わらせ、駆けつけた。
Oのご長女は高校生、長男は来年小学生。昨年私が子守をした次男は、1才を超えた。


5世代が集う会となった。


塩から、なめた。美味しかった。
牛刺し、鯨の寿司、大トロ…
めったに食べられないものが、いただけた。


この会に参加するのは2年目である。
気心も分かり始め、和やかな談笑の時間となった。


これが、明日の晩には、正月の宴に移行する。


実は、この集い、今年の盆過ぎにも開催されたのである。
私の記憶は定かでないが、参会の人々の話からすると、午前の3時過ぎまで続いたそうな。
そして私は、恥ずかしくも泥酔し、若者たちの肩を借りて、西多賀の2階の部屋に運び込まれたらしい。
そういえば、宿を出るとき奥様に、門限は12時と、やんわり釘をさされていた。
そうだったのか……、やはり、憶えていない…


そして、帰宿は11時40分過ぎ。紅白は、既に、終わっていた…今年は、どちらが勝ったのだろう…、早々に床についた。