裏磐梯の森から

一人暮らし老人の 日々の食事と 身辺雑記です

まだ、直売所は、開いていない

土曜日。晴れ。
良い天気である。


ラジオを聴きながら、焚き火を始める。
ウグイスが、上手に鳴いている。


庭の一角に、多数咲いている花。まだ、名前は不明。
この山荘の前の住人は、私の先輩の、ご両親。奥様は花を植え、旦那様は、畑を作っていたようだ。


11時マレーシアの10時が過ぎると、が目覚める。そして、LINEがつながる。
私の顔を見て、ちょっと微笑む。あとは、興味はないようだ。


マレーシアの日常は、さらに厳しいようだ。
義父は、全土封鎖の後も、会社に行っていた。そして、警察が入ったとのこと。通報されたようだ。
車での移動は10km制限。息子Jは、工場の機械保守にも、行けなくなった。


Grab(宅配用のバイク)の手配が、難しくなった。そこで、食事の内容は、下向きとのこと。


ただし、世界的な外出制限の中、娘の講座には、希望者が増加し、対応できない状況とのこと…


おそらく、一人、喜んでいるのは、孫であろう。みんなに関わってもらえる。


私のYouTubeでの英語の師匠に、バイリンガールがいる。彼女の家族は、マレーシアにも家を借り、日本のアパートと、往復する生活。マレーシアには、ビザなしで3ヶ月まで、滞在できる。
今回、帰国を早める手配をしたとのこと。

朝・昼食

冷凍しておいた香茸ごはんを解凍し、ちょっと焦がしてしまったチキンスープ雑炊を作る。
人参、青菜(くきたち)、油揚げの炒め
キュウリ、茄子の漬け物、こんどは塩を抜きすぎた…

庭木の伐採、そして、ドライブ

二本の常緑低木が、南側にある。
が混じり込んで、暴れた状況。

おまけに、蔓は伸び伸びて、山荘のベランダ下まで、這ってきている。太い!
今日は、これを整理。約一時間。
まだまだ、時間が、かかる。

11月半ばから、道の駅裏磐梯直売所がしまっている。
そろそろ開いたかもしれないと、出かける。15分の距離である。
まだまだ、野菜のシーズンでは、なかった。

磐梯山の画像。これは、表である。1816m日本百名山。右裾野に、わが山荘あり。

猪苗代町の、某コンビニからの映像。

これが、裏磐梯。中央の凹みは、1888年(明治21年)の水蒸気噴火の痕である。無数の岩石が、噴出した。我が庭にある巨岩も、噴石である。

この湖は、その時、できた湖の一つ、桧原湖である。我が山荘は、山の左手裾野である。


この、山と湖の写真を撮りに、道を下りたのであるが、そこで見つけたのは…

福寿草の群生。被子植物、双子葉離弁花類、キンポウゲ科フクジュソウ属


さらに、珍しくも、こんな所に…

ワサビである。被子植物、双子葉離弁花類、アブラナ科、ワサビ属


洗車中の老人に、

「採っても良いが、根は残して」と、柔らかな訛りで、声を掛けられる。


尋ねると、彼が山から採取して、植えたもの。納得しました。

この、芽吹いたばかりの、水芭蕉も、そうである。


明日、毎年訪れる研究者が来る予定で、私の出で立ちで、その同行者かと思ったとのこと。釣り宿のご主人であろう。


思いがけず、よい湿地と、良い人に出会った。今度は、手土産でも持って、採集させてもらおう。

夕食

麻婆豆腐


仙台市太白区大野田に、陳建民の弟子が営む中華料理店があった。小学校の教員であった30年前、常連であった。何を食べても、旨かった。ご夫婦は高齢になり、調理機材器具と合わせて、店を売却した。今は、二郎系のラーメン店になっている。陳建民は、我が国の四川料理の父


仙台市太白区茂庭に、陳健一の弟子が営む中華料理店がある。麻婆豆腐は、さすがに旨い、辛い、痺れる…。ここの麻婆麺が、私の好みである。いつも、辛すぎる麻婆餡を残してしまう。タッパーを持ち込もう、と思いつつ、実現していない。健一は、建民の息子。


それには、とうてい敵わないが、私の定番料理。なにしろ、調味料を揃えたら、週1ぐらいで作らないと、消化できない。


味の決め手は、花椒(中国さんしょう)。最後に、これを指で揉み砕いて、振りかける。この痺れで、少々の料理の不手際は、誤魔化せるのだ。旨い!