裏磐梯の森から

一人暮らし老人の 日々の食事と 身辺雑記です

教育とは、儚(はかな)いものであるのだが…

今日こそ、おそらく宿泊者は、私独りであったろう。駐車場にも、私以外の自家用車はない。
この宮城県青年会館は、会議室の利用や、宴会客の利用が多い。
宿泊者は、スポーツ関係、音楽関係、社員研修関係が多いようだ。私のような個人宿泊は、まれと言うことになる。つまり、シーズンオフがあるということになろう。


朝食

昨晩の残りの俵おこわ(山菜)。
カップ麺の小。
バナナ


学校到着8時15分。
当日の演習資料の印刷。
何しろ、明日出来ることは、今日しない人間である。当日の朝の仕事になる。
二クラスで、学生は約50人。二クラスとも、欠席が少ない。良いことである。


学生たちに、小学校の新一年生の保護者向け講話の、案を示す。

そして、はたと気がついた。
これらの内容は、演習の合間に、彼ら・彼女らに伝えてきたことが、ほとんどなのだ。
そうか、私は、専門演習を指導しながら、同時に、子どもとは?人間とは?成長とは?教師とは?そんな問いかけの答えを、学生たちと一緒に、見つけようとしていたようだ…


12時15分、演習が終わると、あわただしく裏磐梯に向かう。
昼食をとる時間も惜しみ、せんべいをかじったり、眠気覚ましに、大好きなイチゴアイスをかじりながら、ひたすら帰り道を急ぐ。


土湯峠では、5台の大型除雪車を追い抜いたり、すれ違ったりしながら…
それだけ、圧雪が進んでいる。


スーパーで買い物をして、早めの夕食

メバチマグロのぶつ。これは、おいしい。
小松菜タマネギの炒め、味付けは塩のみと、子持ちししゃも。これも旨い。
生ギサバ(アカモク)。お湯をかけると緑色に変わる。鹿児島の赤酢で…
この時期、生の海藻類が多く出回る。ワカメ、ノリ、メカブ…早春の海の旬である。

そして、おでん(4日目)。


ところで、「教育とは、儚いものである」とは、齋藤喜博校長先生の言葉である。彼は、40代で小学校長を務めるが、教員組合推薦の校長であった。かつては、そんな人事があったのである。
研究授業、公開授業を始めた先駆。後に宮城教育大学でも教鞭をとる。教育のはかなさとは、結果を見届けることが出来ない仕事、そんな意味が込められているのか。


同時代の教育者に、大村はまさんがいる。70歳を過ぎても、現役の教員を続け、毎月のように新しい教材で、研究授業をした、中学校の国語教師である。晩年近くに、仙台を訪れた際、お話を聞いている。「私の歳まで教員を続けると、自分の仕事の結果を見ることが出来るようなった…」と語っていた。自分の教え子を戦場に送り、尊い命を失わせたと、生涯後悔し続けた教師である。


親も、子育てという形で、教育を紡ぐ同行者である。そして、親であれば、その結果を垣間見ることが出来る。
それは、あたかも、鏡で自身を見るようなものである。
長く長い時間のかかる取り組みの実りである。
その初心の者が、新一年生の親。講話の内容を、さらに吟味したい。学生たちからも、意見をもらおう。